2009年4月26日日曜日

ヒッキーPV特集

全部で22個あると思います。

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来歴 [編集]

1993年〜2000年 [編集]

米国居住時代の1993年U3(父:宇多田照實と母:藤圭子とのファミリーユニット)名義で『STAR』を発表。また同じく米国で1997年Cubic U(宇多田家の3の意味)としてソロシングルClose To You』とアルバムPrecious』を発表[4]

1997年秋、東京のスタジオでレコーディングをしていたところ、隣のスタジオにいたディレクターの三宅彰[5]の目にとまり、日本デビューを持ち掛けられるが、アメリカでCubic Uとしてソロデビューを控えていたため、当初は戸惑ったが三宅の熱心な説得により1998年1月28日に『Precious』を日本で発売し、12月に"宇多田ヒカル"としてデビューすることになった。

1998年12月、宇多田ヒカルとしてシングル『Automatic / time will tell』 でデビュー。プロモーションはラジオ出演のみだったが、FMラジオや外資系CDショップのプッシュから一気に人気に火がつきデビュー曲はいきなりミリオン セールスを記録。わずか1枚のシングルだけで音楽メディアはもとより一般の週刊誌紙やワイドショーまでセンセーショナルを巻き起こした。そして、宇多田が 15歳の若さで作詞作曲を手がけていることやアメリカで生活していた帰国子女で、かつての演歌歌手・藤圭子の娘だということが分かり、世間を驚かせた。さらにデビュー前のクラブ向けアナログ盤や業界向けコンベンションの高評価など、多方面で話題を呼んだ[6]

1999年1月、自身のホームページにてブログを開始。当時はブログ自体が珍しく、宇多田ヒカルがその先駆けになった。

1999年3月、1stアルバム『First Love』を発売。日本で860万枚以上(オリコンの売り上げデータは765万枚)、国外を含めると990万枚以上を出荷し、国内アルバム売り上げ史上歴代1位の超メガヒットとなる。この年に帰国し、活動拠点を日本に移す。

それまでラジオ以外メディア露出はほとんどなかったが、6月18日の『ミュージックステーション』(26.5%)を皮切りに、『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』(28.5%)『SMAP×SMAP』(33.5%)などのテレビ番組にも出演。いずれも番組最高視聴率を記録(『SMAP×SMAP』は当時の最高視聴率)。

2000年7月、初めての全国ツアー「BOHEMIAN SUMMER 〜宇多田ヒカル Circuit Live 2000〜」を開催(ツアータイトルの由来はクイーンの名曲ボヘミアン・ラプソディより)。7月1日の国立代々木競技場第一体育館を皮切りに、全国10か所で開催。徳島公演の際には腰痛でダウンするという緊急事態もあったが、名古屋レインボーホール(現:日本ガイシホール)での最終公演の後、千葉マリンスタジアムで3日間にわたって追加公演を行う。いずれの公演のチケットもプラチナチケットと呼ばれ、電話予約開始から瞬時に完売、ネットオークションなどで高値で出回る。千葉マリンスタジアム3日目の公演では、この日のためにJam and Lewisが初来日し、演奏に参加。“最初で最後の全国ツアー”などとうたわれたが、2006年夏に2度目のツアーを開催。

2001年〜2003年 [編集]

2001年3月、2ndアルバム『Distance』を発売。発売日が浜崎あゆみのベストアルバム『A BEST』と重なり、「歌姫対決」と話題を集めた。 結果『Distance』の発売1週間の売り上げ枚数はオリコンで300.3万枚(邦楽アルバム初動売上1位)、プラネットで262.9万枚、サウンドスキャンで244.3万枚を記録し、日本の3大チャートのすべてで宇多田が浜崎を上回った。最終的に双方とも売り上げ400万枚を超える大ヒットとなった。売り上げ約450万枚(オリコン)。オリコン年間アルバムチャート1位獲得。

2001年6月8日に起きた、附属池田小事件の被害者の1人が宇多田ヒカルのファンであったことを知り、本来リリースする予定だったシングルカット曲『DISTANCE』をバラード調の曲に作り直し、その被害者に捧げる曲『FINAL DISTANCE』としてリリース。

2001年7月、Tezuka Osamu @ Cinema企画のインターネットアニメ「ブラック・ジャック」で、ピノコ役の声優に起用される。声優の仕事は本人初の試み。

2001年8月、MTV UNPLUGGEDに出演。アメリカでUNPLUGGEDを制作していたスタッフが来日して撮影が行われた。

2001年、TIME誌アメリカ版(秋特別号)にU2ボノビョーク等6人と共に表紙を飾る。同年12月17日号でTIME誌アジア版の表紙を飾る。

2002年1月、米国のレコードレーベルグループであるアイランド・デフ・ジャム・ミュージック・グループと契約。アメリカでの芸名を「Utada」とする。

2002年1月31日、世界経済フォーラム(通称ダボス会議)のオープニングセレモニーに出席。同年2月18日、首相官邸で行われた、ブッシュ大統領歓迎レセプッションに出席。

2002年4月、卵巣腫瘍(良性)と診断され、摘出手術を受ける。術後も薬の副作用で体調が回復せずしばらく休養。そのため、テレビ出演などプロモーション活動の中止も余儀なくされ、出演予定だった「笑っていいとも!」のテレフォンショッキングには、急遽父親の宇多田照實氏が代理で出演。

2002年6月、3rdアルバム『DEEP RIVER』発売。テレビ出演はなかったが、雑誌・ラジオ番組でプロモーション活動を行った。発売1週間の売り上げ枚数はオリコンで235万枚、プラネットで189万枚を記録した。売上げ約360万枚(オリコン)。オリコン年間アルバムチャート1位獲得。2002年9月6日、写真家で映画監督の紀里谷和明結婚。紀里谷はアルバム『Distance』のCDジャケットや『traveling』『』『SAKURAドロップス』3rdアルバムのタイトル曲となった『DEEP RIVER』などのプロモーションビデオを製作。

2003年1月19日、自身20歳の誕生日に、ライブストリーミング・イベント「20代はイケイケ!」を開催。トークの他ミニライブも行われ、井上陽水の「少年時代」のカバーなど全3曲を披露。約2130万件のアクセス数を記録。

2004年〜2006年 [編集]

2004年3月、コンピレーションアルバムUtada Hikaru SINGLE COLLECTION VOL.1』を発売。当時ベストアルバムの発売と話題になった。4週以上に渡ってオリコン1位を独走。250万枚以上のセールスを記録し、年間アルバムチャート1位となった。2004年2月、3日/4日/7日/8日/10日に、ライブ「ヒカルの5」開催。武道館での5日間限定ライブ。定員5万人に対して100万件以上の応募があり、プラチナチケットとなった。

2004年4月、夫(当時)の紀里谷和明の初監督映画『CASSHERN』のテーマソングであるシングル『誰かの願いが叶うころ』を発売。

2004年10月、幾多の延期を経てアルバム『EXODUS』で米国メジャーデビュー。収録曲「Devil Inside」シングルHot Singles Salesチャートで57位、ダンスチャートでは1位を記録。アルバムはビルボード総合アルバムチャートで160位。 また新人や若手アーティストが対象のTop Heatseekersチャートでは5位。 2005年10月には同アルバムで全英デビュー。日本では全米発売から4週間早い2004年9月8日に先行発売され、全英語詞にもかかわらずミリオンセラーを記録するヒットとなった。オリコンチャートで1位獲得。

2005年9月にシングル「Be My Last」を発売し、その後も立て続けにシングルを発売。再び日本での活動が盛んになった。 2月リリースの「Keep Tryin'」は200万ダウンロード突破。その後NHKみんなのうたで、「ぼくはくま」が起用された。「誰かの願いが叶うころ」「Be My Last」「Passion」「Keep Tryin'」など、2004年以降のシングルは作詞作曲に加え編曲も宇多田自身が担当しており、活動の範囲を確実に広げている。

NHK「トップランナー」では“シンガーソングライター”ではなく“音楽家”として紹介された。

2006年6月14日、4年ぶりとなる4枚目のオリジナルアルバム『ULTRA BLUE』リリース。この発売に先駆け、収録曲「This Is Love」を配信限定シングルとして販売した。このアルバムは初動50万枚を突破し、1stアルバムからの初動50万枚突破記録を更新し、歴代1位となった。オリコン2週連続1位獲得[7]

2006年、6年振り2度目となる全国ツアー「UTADA UNITED 2006」を開催。7月1日宮城県総合体育館からスタートし、9月10日代々木体育館まで全国11箇所全22公演行われた。国内でリリースされた曲の他にUtada名義でリリースした曲も披露し、まさに“集大成”となった。演出にはアリーナクラス最大規模のLEDを使い、元夫・紀里谷和明もこれに演出監督として参加している。7月28日には、ZEPP大阪で限定シークレットライブ「One Night Magic」を開催。12時間の応募期間にもかかわらず1万通を超える応募があり、プラチナチケットとなった。

2007年~現在 [編集]

2007年2月28日、ドラマ「花より男子2」イメージソング収録の18thシングル「Flavor Of Life」をリリース。14thシングル「Be My Last」~17thシングル「ぼくはくま」までのシングルのすべての累積売上を上回り、オリコン週間チャートでは3週連続1位を記録。音楽配信の売上も好調に伸ばし、“歌姫復活”などとマスコミに報じられた。

2007年3月3日、仕事などお互いの生活のすれ違いを理由に元夫・紀里谷和明と3月2日に離婚したことを、U3MUSIC公式サイトの日記「Message from Utada Hikaru/Utada」にて報告した[8]

2007年7月18日、「Flavor Of Life」の音楽配信が総計700万ダウンロード(内、PC向け配信:プラチナ(25万DL)、着うたフル:トリプル・プラチナ認定(75万DL))を突破し、デジタルシングル世界1位となったことを英EMIが発表した[9]。 同月、オリコンが実施した「音楽ファン2万人が選ぶ好きなアーティストランキング」で2004年以来3年ぶりに1位を獲得した[10]。そして2007年10月4日、宇多田の楽曲のダウンロード数が1000万ダウンロードを突破した(1アーティストの年間配信数で1000万件突破は世界初。2007年1月から9月末までの9ヶ月間のみの集計)。

2007年11月には、Ne-Yoからの要望で、Utadaとコラボレーションした「Do You feat. Utada」が配信限定でリリースされた。2007年12月9日、宇多田ヒカルデビュー10周年目に突入。それを記念してデビュー曲「Automatic」の着うたが12月7日から10日まで無料で配信され、4日間で50万ダウンロードを記録した。

2008年2月20日には記念すべき20枚目のシングル「HEART STATION/Stay Gold」 をリリース。5thアルバムのタイトル楽曲ともなっている「HEART STATION」は、2月の月間FMオンエアチャートで1位となる1064回を記録、「traveling」の1037回を上回り、自身の最高オンエア記 録を更新(またこの月にオンエア回数が1000回を超えたのは「HEART STATION」のみ)。

2008年3月10日から14日まで、デビュー10周年企画第2弾として「First Love」の着うたを無料配信。前回の「Automatic」着うた無料配信の50万ダウンロードを大きく上回る70万ダウンロードを記録。

2008年3月19日、1年9か月ぶりとなる5枚目のアルバム『HEART STATION』をリリース。オリコン初登場1位で1stアルバム以来6作連続首位獲得となった。2008年5月13日、 これまでのアルバム全6作のトータルセールスが2000万枚の大台を突破したことが発表された。売り上げ金額は600億円以上にのぼり、さらにアルバム 『HEART STATION』も100万枚出荷を果たしこれで6作連続でミリオンという快挙に。『HEART STATION』の収録曲が音楽配信で1500万ダウンロードを突破、CDと配信の合算で62億円を売り上げたことも併せて発表された。

2008年5月21日、21枚目のシングル「Prisoner Of Love」をリリース。5thアルバム収録曲で、ドラマ「ラスト・フレンズ」 の主題歌となったことからシングルカットが決定。原曲がアレンジなどされずそのままシングルカットされるのは3枚目のシングル「First Love」以来。また同日からは、携帯電話とPCにおいて自身初となるビデオクリップ配信がスタート(5月21日現在「Flavor Of Life -Ballad Version-」、「HEART STATION」、「Prisoner Of Love」の3曲のみ配信中)。

2008年10月20日スタートのフジテレビ系月9ドラマ「イノセント・ラヴ」の主題歌に、2001年にリリースされた2ndアルバム『Distance』の収録楽曲「Eternally」に再編集を施したリミックスバージョン「Eternally -Drama Mix-」が起用された。主題歌として使用されるニュー・ヴァージョンは、2001年当時にスタジオで何回も歌われたヴォーカルの中から、ふたたび編集を行い、Londonにて新たにMIXを行ったもの。フジ月9ドラマ主題歌起用は2001年の『HERO』以来、約7年半ぶり2度目である[11]

2008年12月9日、 宇多田ヒカルデビュー10周年を迎え、それを記念して初めてのオフィシャルブック「点-ten-」「線-sen-」の2冊を2009年春に同時発売するこ とを発表。「点-ten-」は、宇多田が初めて歌手活動、その苦悩や結婚・離婚といったプライベートな事柄について筆を持ち、書き下ろした文章に加え、オ フィシャルライターの松浦靖恵氏によるこれまでのインタビューの総括や宇多田ヒカル語録が収録されるほか、10年間の軌跡を写真で追う。「線-sen-」 は、これまでHP上で続けてきた「Message From Hikki」の、99年2月~08年12月までの全エントリーを掲載。さらに、1stアルバム『First Love』 のジャケット撮影を担当した久家靖秀氏による撮り下ろしのオールロケ撮影写真で構成される予定。 また、オフィシャルHPでは「10周年特設サイト」がオープン。11月よりスタートした企画第5弾「あなたの大好きな一曲を教えてください!」メッセージ 募集で寄せられた、ファンからのメッセージを紹介するブログが開設されている。2009年1月12日付のオリコンチャートにてアルバム『HEART STATION』が42週目にしてミリオンを突破。自身のミリオン突破は04年の『Utada Hikaru SINGLE COLLECTION VOL.1』以来5年ぶりで、通算5枚目(アルバム全6枚中)。

2009年1月7日、Utadaとしての新曲「Come Back To Me」のフルサイズ試聴がスタート。2004年の『EXODUS』以来約5年ぶりとなるセカンド・アルバム『This Is The One』を3月14日に日本でリリース、3月24日にはアメリカでデジタル配信でのリリース予定(CDでのリリースは5月12日の予定)。2009年3月19日には宇多田ヒカルとして、初のオフィシャルブック「点-ten-」「線-sen-」を同時発売。ちなみに宇多田ヒカルとUtadaの活動が国内で同時に進行するのはこれが初となる。


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